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文化:フェルメール『真珠の耳飾りの少女』

『真珠の耳飾りの少女』
フェルメール (1632-1675)
真珠の耳飾りの少女
マウリッツハイス美術館


◆フェルメール『真珠の耳飾りの少女』
この絵は、17世紀のオランダの画家フェルメール(1632-1675)の傑作。
別名で、『青いターバンのの少女』とも呼ばれる。
描かれたのは、1665年-1666年頃とされ、当時流行した「風俗画」に分類されている。


◆すっかり魅せられて
先日、NHK BSプレミアムの「額縁をくぐって物語の中へ」で紹介された。
フェルメールのシリーズの最初の作品であった。
そして、すっかり魅せられてしまった。

輝く真珠の耳飾りがいい、青いターバンがいい。
口元が魅惑的で、眼差しに心が吸い寄せられる。
ふと振り向いたポーズは絶妙で、すぐそこに座っているかのようだ。

爽やかでありながらコケティッシュで、ごく庶民的だ。
約350年前に描かれたのに、現代の作品のようだ。
肖像画や宗教画とは全く異なる。

少女の真珠の耳飾りは、フェルメールの財産目録に載っているという。
青いターバンと合わせて装ったモデルから、画家が創作した少女像らしい。
写真では表現できない美の世界だ。


◆フェルメールの時代のオランダ
オランダは、八十年戦争(1568-1648年)の結果、スペインから独立した。
当時のオランダは、ヨーロッパで最も富裕な国であった。
君主制やカトリック的伝統は破壊されていた。

貿易で利益をあげ、学問、芸術が栄えた。
富裕な商人向けに絵画が多く描かれたが、それらはほとんどが小型の風俗画であった。
大型の宗教画や肖像画に比べ低価格で、画家の生活は苦しかった。

そうした時代、フェルメールは名の売れた画家の一人であった。
『真珠の耳飾りの少女』、『牛乳を注ぐ女』、『手紙を書く婦人と召使』などを描いた。
しかし、1675年、彼は破産状態の中で死去した。

1678年、オランダはフランスのルイ14世(1638-1715)に侵略された。
その後、オランダは急速に輝きを失い、風俗画も消えていった。
フェルメーの名も、以後約200年間、ほとんど忘れられることとなった。


◆『真珠の耳飾りの少女』の有為転変
フェルメールは、破産状態で死去したので、残された作品も競売にかけられるなどした。
『真珠の耳飾りの少女』も、他の絵とともに1696年に競売された目録が残っている。
その後も転々と人手を渡ったようである。

1881年、ハーグのオークションで、ある人物がこの絵を購入した。
わずか2ギルダー30セント(およそ1万円)であったという。
絵は極めて汚れていて、ただの17世紀の風俗画と評価されたのであろう。

この人物には相続人がいなかった。
そのため、彼の死後、この絵はマウリッツハイス美術館に寄贈されたのであった。
なんという奇跡、なんという幸運!

それから何回か修復が行われたが、1994-1996年の修復は、きわめて徹底的であった。
ターバンの「青」は高価な宝石を原料とする絵の具であったことなども判明した。
その結果、フェルメールが描いた当時の絵に、非常に近いものになったという。

現在の『真珠の耳飾りの少女』の評価額は、100億円とも150億円ともいわれるそうだ。