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佐々木盛綱 ~ 6)承久の乱(概要)

◆三代将軍実朝、暗殺される
1219年、源実朝が兄頼家の子・公暁に暗殺された。
その公暁も斬られ、幕府の実権は名実ともに北条氏(政子・義時)が手にした。
北条氏は京から、名目上の将軍を迎えることとし、幕府の継続を計った。た。

◆承久の乱
源氏が断絶で、政治の実権が朝廷に返上されると考えていた後鳥羽上皇は怒った。
鎌倉の動揺も見据えて、上皇は倒幕を決意する。
1221年、上皇は各地に宣旨を送り、主に西国からの兵を京に集めた。

鎌倉では、朝敵の汚名を恐れ、防衛戦を主張する御家人がほとんどだった。
しかし、大江広元の京へ攻め上るべし、との献言を受けた政子の「檄」で一変。
東国の御家人が一致団結し、大軍で京へ向かった。

◆幕府軍の勝利
戦いは幕府軍の圧倒的な勝利に終わった。
後鳥羽上皇は隠岐に配流となった。
承久の乱後、幕府の支配力が高まり、朝廷の皇位継承にも介入するほどになった。

次回は、承久の乱(別巻)として佐々木加地氏と乱の関係について述べます。