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城下町散策マップ開発(4)

◆二の丸の南部分の屋敷割り
城下町散策マップに城下の屋敷割りを追加した。
二の丸の南部分で、旧町名では、竹町、片田町、小人町、古徒士町、同心町など。
西ヶ輪と下鉄砲町、さらに藩の施設の「厩(うまや)」と「作事場」も加えた。)

南部分は、武家社会の厳格な身分制度が、よく分る屋敷割りになっている。
どこで生まれたかによって、その人生が決まる社会であった。
これが約260年間も維持されたのが江戸時代、ということになる。

◆新・古地図と現代地図と古地図
現代地図に、堀や旧町名の通りや屋敷割りを追加して、新・古地図を編集してきた。
現在の道路に合わせて、個々の屋敷割りの形、大きさ、向きを修正した。
その逆の修正もした。

どうにもマッチしないところは、あえて、ズレをそのまま残した。
現代地図に近くて、古地図の情報が程々に分れば良い、ということを目標にした。
その目標からは、新・古地図は自己採点で、甘く「合格」としておきたい。

◆新・散策ルート(バーチャル)
この新・古地図上に、いくつかの散策ルートを追加するのが、次の目標だ。
ルート自体の案は、既にできているが、どうしても現地調査が必要だ。
近日中に、新発田の探索に出かける予定を立てている。

(追記)
◆城下の西側部分は未調査
実は、城下の西側には、これまで、あまり関心がなかった。
お城の「裏側」と思っていたからであう。
現在の道路なども未調査のままになっている。

数年前に一度、西公園の周囲をさっとサイクリングしただけ。
だから、屋敷割りも追加できない。
ということを、今、深く反省している。

屋敷割りのマップ掲載を一段落しようと思って、改めて古地図を眺めた。
そして、愕然とした。なんと、
<西側部分は、過半数の侍屋敷が集中する「武家の町」>であったのだ!

細部をみると、広狭の屋敷割り部分が整然と組合されている。
これまで、雑然とした「その他の侍町」と思い込んでいた。
ここは、詳細に探訪すべきミステリー<城下町>ゾーンなのであった。