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城下町散策マップ開発(3)

◆三の丸と二の丸の屋敷割り
城下町散策マップに城内の屋敷割りを追加した。
三の丸は、メインの通りに面した部分の屋敷割り。
作成済みの堀や道路とうまくマッチしないので、適宜補正した。

二の丸は、新たに入手した新発田城下の古地図を参照して作成した。
これもかなりの補正を要した。
北半分は自衛隊駐屯地であるが、<幻の二の丸>散策コースは十分に楽しめそうだ。

ま、いずれにしても屋敷割りの正確な再現は、ほとんど不可能だ。
古地図の方位、縮尺などが必ずしも統一されていないからである。
それでも屋敷割りは、<城下町>の貴重な公式情報である。

その語るところを期待して、散策マップにおおよそ再現してみた、というところ。
お堀にしても同様で、かなりアバウトである。
それでも<城下町>新発田の姿・形が、ずいぶんと浮き彫りになってきた。

◆幻の二の丸
二の丸北半分は、明治維新後に破却され、陸軍の駐屯地になった。
現在は、陸上自衛隊が駐屯していて、かつての面影は何もない。
しかし、古地図から伺えるこの部分は、なかなかに魅力的である。

「御米蔵」があるが、年貢米の搬入ルートはどうであったのか。
城下中心部を流れる新発田川を船で運び、陸揚げして西ヶ輪を通ったのかも。
こんな単純なことも、しっかり調べると、新しい発見がいろいろ出てくるものだ。

「古丸」というのがあるが、ここは新発田重家時代の新発田城跡と伝えられる。
庭園風で池もある、十分広い一角である。
このように<保存>した溝口藩の想いは何であったろうか。

「講堂」は、藩の学問所であるが、どのような学問を教えていたのだろうか。
他に、城下には<寺子屋>や江戸のような芸事指南などはあったのだろうか。
かくして、<城下町>は調べてみたくなる要素が豊富で、奥が深~い。