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城下町・新発田を見る(中)

◆これまでの<城下町>
これまでは、<城下町>といえば、
城郭の遺跡物、庭園、武家屋敷、町屋、銅像、旧居、記念館など
を売り物にしてきた。

しかし、いまさら、過去の<城下町>を再現することは、不可能だ。
その不可能に近づこうとしているのが、一般的な流れだ。
天守閣を復元したり、町屋の街並みを整備したり、旧町名碑を建てたり、‥‥

しかし、所詮は本物には遠く及ばない。
観光スポットが増えるだけだし、一度訪れたらそれっきり。
金もかかるし、種も尽きる。

訪問者が通る道路も、次の観光スポットへ移動するための<単なる経路>に過ぎない。
移動自体に意味はなく、<城下町>体験は分断される。
訪問者の頭には、点々と観光スポットが残るだけで、脈絡がなく、多分すぐに忘れる。

◆バーチャル<城下町>
新発田には城下町時代の道がそのまま残っている。
特に、職人の町である三之町、四之町、職人町は、小路までが見事にそのままだ。
武家屋敷地区は、明治以降に建設された道路で寸断されたりしているが、十分な形が残る。

もちろん、現在の『町』には往時の面影は全くなくて、あるのは道だけ。
その『町』を<城下町>時代の情報でイメージを描いて散策する。これが実に楽しい。
つまり、シナリオと背景を用意して、<ストーリー>を創り出すのだ。

これが、バーチャル<城下町>である。
町並みや行きかう人々、賑わう店先、桶のタガををはめる職人、鍛冶屋の槌音、‥‥
まるで透明人間になって、江戸時代を歩いているかのように感じる。

<ストーリー>のある、鮮烈なバーチャル<城下町>体験だ。
こうした体験は、しっかりと記憶に残る。
そうして、また体験したくなるのである。

◆たとえ話
たとえて云えば、「長崎ハウステンボス」と「東京ディズニーランド」。
両者はきわめて対照的で、前者=本物志向、後者=バーチャル志向である。
前者は経営破たんし、後者は不況下で業績好調だ。

「長崎ハウステンボス」は、オランダの中世の宮殿などを忠実に復元した。
しかし、本物志向の枠の中では、変更・発展を図り難い。
一度行けばOKで、社会の消費性向の変化にもうまく対応できなかった。

「東京ディズニーランド」は、100%がバーチャルの世界のテーマパークだ。
ディズニーのキャラクタが登場して、いわば<イメージ>の世界を演出する。
ゾウが空を飛んたり、突如海賊が現れたり、ハチャメチャな<ストーリー>だ。

それが客を楽しませる。つぎの<ストーリー>を期待して、またディズニーランドへ。
客の興味を惹くイベントをつぎつぎと繰り出す営業政策もみごとだ。
ディズニーという基本理念は崩さないバーチャル志向は、大いに参考にしたいものだ。

◆新発田のバーチャル的方向
<城下町>は、テーマパークではない。
しかし、訪問者にディズニーランドのようなバーチャル世界を提供することはできる。
いかにも往時の<城下町>を散策しているかのような<イメージ>を創造するのだ。

新発田は、そういうバーチャル化要素をほぼ完璧に備えた稀少な<城下町>といえる。
新発田にないもの、それはバーチャルな<城下町>のエンターテイメント。
バーチャル化で新しい<城下町>を創造することには、未来への大きな夢がある。

(次回に続く)