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2014年08月26日

新発田城御殿間取り図:御間柄全図(1)

◆『新発田城中御間柄全図』(復元図)
 古地図『一歩一間歩詰惣絵図』に加えて、もうひとつの復元図がある。
 新発田城の本丸御殿の間取り図だ。
 これも先回の紀行で借用できた。

 『御間柄全図』は、明治34年(1901年)、藩の棟梁であった股野氏の子孫が作成した。
 本丸全体(堀、石垣、櫓、門、御殿、庭など)と御殿内の間取りを正確な絵図にした。
 御殿の全部屋の呼称、廊下や塀などが丁寧に描かれている。

 御殿は二階建てで、原図では一階部分の上に二階部分を貼り重ねてあるという。。
 復元では、その状態を彩色で鳥の子紙に復元した。
 そして、薄紙で一階部分をモノクロで復元した。

 原図は、100分の1縮尺で、横107cm、縦78cm。
 復元図は、原図の70%縮小で、横79.5cm、縦56cm。薄紙の図面は、横55cm、縦39cm。
 復元図は、1977年に、限定800部、頒布価格1,300円で発行された。
 
 
◆『御間柄全図』のデジタル・コピー
 『御間柄全図』を精度600bpi、JPEG形式でスキャンし、パソコン上にデジタル化した。
 絵図全体の画像ファイルは、横19,943×縦12,208pixel、容量は 192MBとなった。
 Adobeの「Photoshop Elements 11」であれば、詳細部分まで問題なく拡大できる。

    → 『御間柄全図』の画像

◆部屋割りについて
 復元図には、2頁の解説書が添付されている。
 ただ、個別の部屋については、特に記載されていない。
 知りたくても、よく分らない、というのが実情のようだ。
 
 御殿は、大きく東側の「表御用」と西側の「裏御用」に分かれる。
 「表御用」は公的部分で、「裏御用」は藩主の私的生活部分である。
「裏御用」は、御殿全体の約3分の1の面積を占めていた。

  ◇ ◇ ◇

 「表御用」に「時計の間」というのがある。
 ここは、家老クラス9名と御用人クラス6名のみが、入ることを許されていたようだ。
 すぐ隣には「御膳仕立ての間」という大きな部屋があり、宴席に使われたのかも。

 部屋は、身分と職制によって厳しく割り当てられていた。
 日常的な藩の行政が、どこで行われていたかも知りたいものだ。
 数ヶ所に、休息所とお菓子の間が設けられているのも興味を惹かれる。
 
  ◇ ◇ ◇
 
 「裏御用」には、藩主の「居間」や「書斎」などがある。
 これらは、御殿の西南部分の庭(池がある)に面した南向きの部屋である。
 まさに、殿様気分の生活環境だ。

 
◆(ひとこと)
 復元図は、一階に二階が重なっているが、これは意味がない。
 一階と二階は、それぞれ分けて、二枚で復元して欲しかった。
 二階部分を薄紙にして、一階部分に重ねて見れるようにすると、きわめて便利だ。

 (著作権の関係で、スキャン・合成したJPEGファイルは、公開を控える)

2014年08月14日

新発田古地図:一歩一間歩詰惣絵図(2)

◆復元図のデジタル・コピー
 『一歩一間歩詰惣絵図』のデジタル・コピーをパソコンに取り込んだ。
 大きな絵図をやや高い精度(600bpi、JPEG形式)でスキャンした。
 絵図全体の画像ファイルは、横21,403×縦28,268pixel、容量369MBと大きくなった。

 この大きさだと、通常の写真表示ソフトでは、全体の縮小表示がやっとだ。
 拡大していくとボヤケてしまい、細部を判別できないので、役に立たない。
 Adobeの「Photoshop Elements 11」であれば、詳細部分まで問題なく拡大できる。

◆「札の辻」付近の拡大図(画面Copy)
 例えば、「札の辻」に描かれたごく小さな高札場の絵を、形状まで十分に確認可能だ。
 小さな文字(間口など)も判読に十分な表示まで拡大できる。
 画像ファイルは、横 883×縦 404pixel、容量 501KBである。(Photoshopの画面Copy)

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◆絵図全体の縮小図
 部分を拡大しても、全体像は分からないにで、全体画像の縮小版を作ることにした。
 これも問題で、「Photoshop」でもうまくいかない。
 「IrfaanView」というフリー^ソフトが役に立った。(上記のような拡大表示はダメ)

 普通の写真を縦にした大きさで、容量を減らすため、GIF形式にした。
 絵図に描かれた新発田城下町の全体が、分ってもらえると思う。
 画像ファイルは、横 485×縦 640pixel、容量 132KBである。

 この縮小図の、上部中央にあるのが「本丸」、右下に延びているのが「上鉄砲町」。
 「二の丸」、「三の丸」を囲むお堀は、即、新発田城と分るすばらしい造形だ。
 城下町と絵図のPRに利用するのに便利な図であると思う。


◆「三之町」の部分図
 全体では大き過ぎて不便なので、部分図を作った。
 この絵図の特徴である町人町で、当時の街路もそのまま残る「三之町」を選んだ。
 画像ファイルは、横 640×縦 333pixel、容量 193KBである。

 だいぶ粗くなったので、文字の判読は困難だ。
 こういう町人町が古地図に描かれていたというデモ用には、十分使える。
 町内の家数や奥行の深い店構えが見て取れる。

 (著作権の関係で、スキャン・合成したJPEGファイルは、公開を控える)

2014年08月10日

新発田古地図:一歩一間歩詰惣絵図(1)

◆復元図が手元に来た!
 天保年間(1840年頃)に作成された新発田の古地図『一歩一間歩詰惣絵図』。
 読みは、「イチブ イッケン ブヅメ ソウ エズ」。(これまでの読みを修正)
 その復元図が、今、手元にある。

 原図は、個人の所蔵で、これを「新発田古地図等刊行会」が縮小復元した。
 原図は、縮尺600分の1で、それをさらに45%縮小。
 1974年(昭和49年)に、限定500部が頒布された。(価格 1,200円)
 
 復元図は、新発田市立図書館も収蔵しており、申込むと閲覧できる。(写真撮影可)

 『一歩一間歩詰惣絵図』の存在は、例の「城下町古地図散歩3」で知った。
 そこには、文字がほとんど判読不能なほどの縮小版が掲載されていた。
 その後、図書館で閲覧できたが、今度は大き過ぎて、うまく鑑賞できなかった。

 手元でじっくりと鑑賞してみたいと、ずっと思っていた。
 再び復元する運動を提起するしかないか、と思っていた。
 そこへ、何の予告もなく、幸運の女神が舞い降りた。(7月31日)

 刊行会に関わっていた方が亡くなり、遺品の中に、復元図等一式があった。
 息子さんがそれらを、ある知人のところへ届けてくれた。(感謝!)
 知人とはよく城下町の話をしていたが、そうした縁が古地図を導いてくれた。

 借用した古地図は、複合プリンタのスキャナ機能でパソコンに取り込み中である。
 ご好意に応えるべく、内容を読み解き、大いに活用しなくてはならない。
 著作権に十分配慮しつつも、当図のPRのため、ごく一部を公開しようと思っている。


◆『一歩一間歩詰惣絵図』の特徴
 主な特徴:
 -- ・城下町全体の武家町、町人町、寺社の屋敷割りを全て網羅している
 -- ・町人町を含め、各屋敷地の住人名が記載されている(判読力を要する)
 -- ・主な屋敷地の間口と奥行の長さが記載されている
 -- ・サイズは、原図(縦200cm、横260cm)の45%縮小(縦87cm、横119cm)

◆『明治初年 新発田城町絵図』との比較
 明治初年版の町絵図の主な特徴:
 -- ・武家町、寺社のみの屋敷割りと住人名を記載している(文字は判読容易)
 -- ・清水園、諏訪神社、上鉄砲町などの部分が割愛され、新築地が追加されている
 -- ・全体的にシンプルで見易く、道路も現状によく適合している

 -- ・サイズは、縦78cm、横105cm
 -- ・ネットの古地図ショップで購入(2,700円)できる

 <古地図を手にして城下町を回る>には、これの方が適している。
 町人町や上鉄砲町付近の情報は『一歩一間』で補完する。
 かなり、理想的な組合わせである。

◆『一歩一間歩詰惣絵図』の名称の意味は不詳
 「一歩一間」は、「一間」を「一歩」に縮小したということのようだ。
 「一歩」がどういう単位なのかは、ピッタリした説明が見つからない。
 「歩詰」は「一歩」に満たない部分を四捨五入するということ。