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2008年02月02日

米作りを考える12 ~ 食生活の再考

◆メタボリック症候群
飽食の時代を反映して、「メタボリック症候群」が注目を集めている。
「メタボリック症候群」とは、
内臓脂肪型肥満に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態をいう。

原因は、運動不足と食べ過ぎで、治療には運動をして食事は軽くすること。
予防できそうでできないのが、生活習慣病たるゆえん。
生活のレベルが上がり、同時に食事の洋風化が進んだ結果のメタボリック症候群。

症状改善の食事メニュー例を見ると、和風の食事がぴったりだ。
ご飯は、バターやジャムをつけないし、味噌汁や納豆・豆腐などの大豆食品がよく似合う。
大豆のイソフラボンは、メタボリック症候群の天敵だ。

おいしいご飯を軽く食べ、大豆食品と野菜と魚を取り合わせる。
日本人には、なじみやすい食事であり、食材もどこでも手に入る。
ただ、大豆は圧倒的に輸入品であるから、これを国内産でまかなうことが課題だ。

◆食育
「食育」も注目されている。
しかし、以前はこんなもの必要ではなかった。
食べ物は、みな素性が明らかで、伝統的なバランスがあり、安全・安心の食材であった。

効率優先で、食材も大量生産・大量消費の製品になり、輸入品が幅をきかせるようになった。
そして、素性が分からず、原材料も混合物で、添加物にまみれた食材ばかりとなった。
「食育」が正しい食事を志向させるものならば、現状は反面教師だ。

「食育」では、噛みしめて唾液を分泌させるもの(するめ、煮干、干しいもなど)を勧めることだ。
「食育」では、日本伝統の優れた発酵食品を理解させ、大いに食べるよう勧めることだ。
「食育」では、地域の食材を最優先で食べさせ、ふるさとの味を教えておくことだ。

◆食の安全・安心
食品偽装やギョーザ問題で、食の安全・安心が揺らいでいる。
法律や制度、規格や基準がいくら整備されても、守るのは「人」である。
悪意の経営者がいたとしても、究極は日本人同士での信頼関係だ。

特に食品は、まず日常的に食べて安全であること。
安全を保障できる安心があること。
食の安全・安心を、経済効率主義で外国に丸投げしている現状はお寒い限りだ。

◆トレーサビリティ
「トレーサビリティ」とは、食品の生産履歴を消費者に公開するものである。
大型店などでは、食品の包装などにQRコードを付けておく。
これを携帯電話で読取ると、画面に履歴情報が表示されるというもの。

いわば、ITを仲介にした顔の見える野菜や肉、ということになる。
表示される電話番号にかけると、生産者(?)と話ができるケースもあるらしい。
どうも,ITメーカー主導の感じで、定着するかどうかは分からない。

消費者が、表示される情報を理解でき、安全・安心を確認できるかがポイントだ。
ま、こういうものが出現するほど、生産者と消費者の距離が開いててしまったのだ。
自分の場合、八百屋や魚屋のおじさんが、「安全・安心の情報仲介者」になってくれている。

2008年02月01日

米作りを考える11 ~ 食からみる社会の再考

◆大量生産大量消費のツケ
そもそも日本は、国土、気候、自然、歴史などから、多種多様性を特徴にした国だった。
明治維新以来、中央集権と画一化の国家主義で、富国強兵が図られた。
第2次大戦後は、アメリカ式の大量生産大量消費の資本主義で、高度成長が図られた。

とくに、高度成長以来の社会は、ひたすら効率化が中心であった。
低価格の規格品を大量生産し、大量販売し、消費者はそれを買った。
グローバル化が叫ばれると、割高な国内産を見捨て、中国などから製品を輸入し、販売した。

冷凍ギョーザの殺虫剤混入問題が大きなニュースになっている。
輸入加工食品の検査は、業者の自主検査まかせで、複雑な輸入ルートでその万全を期すのはムリだ。
要は、日常の食品までを、効率優先で安易に海外に依存する経済構造のツケが回ってきたのだ。

もちろん消費者も低価格にひかれ、安全を軽視してきた責任を自覚・反省する必要がある。
大量生産大量消費の経済は、地方を疲弊させ、国土を荒廃させ、コミュニティを破壊した。
そのツケは、これから消費者である国民が負担して払わなければならない。

◆食品偽装は社会の堕落の象徴
食品偽装が相次いで発覚した。
偽装した会社の経営者のモラルの堕落は、あきれるばかりだ。
当然、これは社会全体が病んでいることを象徴している。

老舗や地域限定の食品で高評価を受けてきた会社が、偽装に手を染めた。
生産効率や原材料入手に限界があることが、これら会社の製品の価値を高める要因でもあった。
大量生産大量販売で利益を拡大するために偽装をしたのである。

現代は、互いに顔の見えない社会になっている。
偽装経営者は、どうせバレない、と平然と思っていたに違いない。
建築・建材偽装、電力会社のデータ改ざん、厚生労働省の各種隠ぺいなど、みんな同じだ。

◆地産地消の再評価
「地元でとれたものを地元で消費する」のが地産地消だ。
日本はそういう国であったし、今その意義が見直されている。
国内外からかき集めた食品を全国にバラ撒くようなアメリカ式経済の対極にある理念だ。

コストや価格といった金額だけで価値を判断する資本主義社会は、やがて破綻する。
資本ではなく、地域のコミュニティで結びつく社会を再構築することが、これからの日本の目指すべき道だ。
各地の多様な食文化は、日本独自の多様性を醸し出す基盤となるのである。