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2008年01月30日

米作りを考える10 ~ 米作りへの思いにエール

◆米作りが人生
「米作りをとったら何も残らない」
高齢で米を作る人の言である。
ひたむきに米を作ってきた人の心は純粋で貴い。

その心を、効率化の名の下に踏みにじってはならない。
米作りを奪ったら、もう生きがいは失せ、社会のお荷物になる。
社会全体では、大きな非効率化をもたらすことになる。

◆心を込める農作業に感動
農作業を田んぼのへりで観察していると、深い感動を覚える。
黙々と、延々と、繰り返し繰り返し作業を続ける。
手を抜かず、ていねいに、綿密に作業を続ける。

そうすることが、自然を相手の農業にはもっとも効率的なのだ。
自然には妥協が許されない。
いつも、傍観者の自分が申し訳なく、頭を下げては撮影させていただいている。

◆高齢でもできる米作り
「健康ならば、80歳位までできるかな」
農家のHさんに「何歳まで?」と伺ったときのお答え。
「今は機械があるから」とのこと。

例のハサ掛けの米仙人も80歳超。
ハサ掛けの重労働までこなしている。
ハサの高い所は軽トラックの荷台を利用する。

◆米作りは『未来産業』だ!
米作りはすごい。
健康を維持すれば、80歳でもできる。
主食を生産し、水田・環境を保全し、高齢者が元気ということになる。

つまり、高齢化、環境保護の流れの中で、米作りは貴重な『未来産業』である。
元気に働き続ければ、医療や福祉はほとんど要らない。
65歳そこそこで第一線から退職する人達に、米作りへの参加を強力に提案すべきだ。

2008年01月21日

米作りを考える9 ~ 小規模米作りへのエール

◆大規模化の強要はやめる
大規模化しなければ米作りの補助はしない、というのは誤った効率主義の強要だ。
町のラーメン屋さんはダメで、チェーン店や大飯店ならOKというようなものだ。
小さいから非効率で厄介物だと政治が決めるのは、国民の生活権の否定だ。。

決めるのは消費者であり、生産者=農家だ。
どういう規模でやろうが、その努力を支援するのがスジだ。
小規模ながら個性的な農家は、適切な支援があれば、米作りを続けていくことができる。

◆市場経済で勝つ小規模米作り
小規模農家も自立の努力が必要だ。
安全安心でおいしい米を作り、自信をもってアピールすることだ。
小規模ゆえに顔の見える米を消費者に提供できる強みがある。

農家の弱点は販売力がないことで、そこを支援するのがポイントだ。
中間の販売経費を排除して、利益が上がるようなルートを構築してあげることだ。
米の販売で利益が出れば、補助金に頼ることなどなくなる。

◆米作りは米を作るだけではない
水田は、千年以上にわたって祖先が営々と築き上げてきた第二の国土である。
そこでは自然との絶妙なバランスで米を生産してきた。
わずか四、五十年の効率至上経済の歪みの犠牲にして、荒廃させることは許されない。

国民の主食の確保、水田を含む国土の自然環境の保全、地球温暖化防止。
米作りの果たす役割は、米価だの補助金だのとは、次元が違う世界にある。
国家として国民として、これからもずっと水田を維持していかなくてはならない。

排気ガスを振りまいいて走る自動車を大量生産して、巨大利益をあげている企業がある。
一方で、水田耕作は二酸化炭素を吸収して米を生産している。
自動車産業が納める税金の一部は、ノシをつけて米作り農家に還元してはどうだろうか。

2008年01月19日

米作りを考える8 ~『農家はITを活用すべきだ』?

◆学者の空論、マスコミの虚像
NHK-TVのお米番組で、これからの農家についてゲストの学者が言った。
「農家はITを活用すべきだ」
いつも聞かされる、学者頭の空虚なことばだ。

ほとんどの農家の人は、パソコンなどに触ったこともない中高年だ。
大企業でも中高年社員にパソコン操作を教えるのに、相当に苦労したものた。
農家のIT化は、掛け声だけではほとんど進まないのは明らかだ。

サルでも言えるようなことしか言わない学者など産業廃棄物だ。
TVの番組も新聞の記事も、そんな学者・識者とやらのコメントで体裁を繕っている。
マスコミも同罪で、農業問題どころかマスコミ自体の虚像体質が問題だ。

◆IT活用は有効
とはいうものの、IT化は農家にとって有効である。
生産面で、経営管理面で、大いに有効であると期待できる。
情報収集、情報発信では、インターネットが低コストで利用できる。

◆IT人材で支援を
実際に、農家でIT=パソコンを利用するには、人的な支援が望ましい。
農家の人をIT技術で支援する「人」を派遣することだ。
講習だの学習だのではなく、使う効果を実感してもらうのが良い。

◆ITは手段
農家の事情は、それぞれが個別的である。
その事情に合わせて、IT技術を生かせる部分があれば、利用を考える。
IT化を目的にしてはならない。

2008年01月14日

米作りを考える7 ~ 米を知らずして米を語るなかれ

◆米を知らない人達の米議論
米問題を議論するTV番組を視ていていつも気になる。
学者も、政治家も、ゲストのタレントも、消費者代表も、司会者も、
ほとんどが、米作りの現場・現実を知らな過ぎる。

報告書や統計数値、経済理論、伝聞情報などを知識のベースにしている。
平均値やらグラフやらアンケートやらを、もっともらしく振り回す。
リアルな現場体験がない、スカスカの意見が多い。

彼らは、ふだん自分が食べている米について知っているのだろうか。
5キロでいくらで、銘柄は何で、産地はどこか。
米を作るプロセスも理解できていないようだ。

我が国の米作りは、きわめて地域性が強く、地形や気候などは多種多様だ。
現地の実状に合わせた、きめの細かい対策の積み上げが必要なのだ。
全国一律の減反政策や大規模化などは、愚策のきわみだ。

医療の知識もなく、患者を直接診断もせずに、処方箋を書くようなものだ。
米を知らないで米を議論するのは遠慮してもらいたい。
始末が悪いのは、こういう人達が米政策に影響力を持っているということだ。

◆消費者の米知識
一般の消費者も、米についての知識はあまり持っていない。
いろいろな味の米、隠れたおいしい米があることをご存じない。
農家の人たちがひたむきに作業する姿、その心情をご存知ない。

他人のことはいえない。
吾が身を振り返れば、いつもスーパーの特売で「あきたこまち」を買っていたっけ。
新発田で農家の人たちと接するようになって、すっかり変った。

生産者側からの情報発信が、不十分なのは確かだ。
インターネットのサイトでも、米作りを丁寧に紹介するものは少ない。
米販売サイトは多いが、商品としての米の宣伝情報が主だ。

食品偽装の問題は、信頼できる食品への関心が高めた。
安全でおいしい米の知識を普及させるチャンスでもある。
当サイトもささやかながら、消費者への情報提供に役立ちたいと思っています。(自己PR)

2008年01月11日

米作りを考える6 ~ 企業経済論理と水田耕作

◆水田耕作は千年以上、企業は高々百年
稲は、弥生時代に日本に入ってきたという。
以来、稲は水田で毎年毎年連作されてきた。
水田は、これからも半永久的に主食を供給し続けることができるのである。

このたび代表的製造業の松下電器が社名を「パナソニック」に変更すると発表した。
その松下電器は創業九十年であり、日本の企業はほとんどが百歳未満だ。
現在の超優良といわれる企業でも、五十年後や百年後まで存在できているだろうか。

製造業はグローバル化の大波の中で、自由貿易協定などで権益を得ようと必死だ。
その障害とみなされているのが、米を中心とする農業分野である。
非効率で、将来性もなく、産出額も就業人口も少ない旧態産業だといわんばかりだ。

しかし、製造業の実績は、自然と共生して営々と千年以上も続く水田耕作に及びもつかない。
水田耕作に対して畏敬の念を忘れてはならない。
たかが数十年の成功体験をもって、水田耕作を非効率呼ばわりすべきではない。

◆水田耕作は「米」製造業ではない
水田耕作には、製造業の市場原理、効率主義、大規模化、省力化などは、かなりなじみにくい。
製造業は場所を選んで工場を建て、管理された環境下で、効率的に生産ラインを動かす。
農業は全く別で、米は目の前にある水田で、自然の影響下で作るしかない。

水田耕作は「米」製造業ではないのである。
変革はぜひ必要であるが、まさに「百年の計」をもってあたらねばならない。
製造業の方程式より、はるかに複雑で難解な方程式を解くことが必要なのである。

2008年01月08日

米作りを考える5 ~ 大規模化は決め手になるのか

◆大規模化による再建の限界
小規模な水田を集約して大規模化する。
より大きな機械力で、効率的に作業をこなす。
少ない労働力で米を作り、コストも低減する。

その実現のための新農業政策が進められている。
合理的な考え方に基づく妥当な政策のように見える。
しかし、スタート時点から既に限界が見えている。

その1は、政策目標の集約大規模化が実現しても、世界では小規模に過ぎないこと。
アメリカや豪州に比べれば、約 1/100 が約 1/10 になる位で、文字通りケタ違いだ。
生産規模としては、まるで問題にならない。

その2は、十数ha にしても、米作経営は成り立たない現実が既にあること。
秋田県の大潟村は、40年ほど前に十数ha 以上の規模で米作りを始めた。
今、米価低迷で作れば赤字の状態にあるという。

その3は、規模拡大で効率化することが目的で、結果生産する米を売る観点がないこと。
生産コストを下げても、米価がそれ以上に下がり続ける。
手前勝手な採算計算をして、使うことを後回しにして、ムダな道路や箱物を作ったのと同じやり方だ。

要するに、お先真っ暗な感が強い新農業政策である。
大規模化すれば補助金を出すと言われて、農家は動くだろうか。
一方で小規模農家は切り捨てる政策であり、参院選で自民党は惨敗した。

◆ダメのダメ押し
アメリカ式の大量生産資本主義を、日本の農業に当てはめるのはダメだ。
成功した(今のところだが)製造業の効率主義を、米作りに持ち込むのはダメだ。
米作りの現場を知らない官僚や学者が立案するような政策はダメだ。

機能不全で、農家の信頼を失った農業機関を存続させるのは、もうダメだ。
そうした機関に補助金をタレ流すより、農家に直接補償を付与して支えなければダメだ。
効率化とは逆に、労働集約で極上質の米を作り、世界にも輸出することを考えなくてはダメだ

2008年01月05日

米作りを考える4 ~ 『豊葦原瑞穂の国』をめざそう

◆千年以上にわたる水田耕作
日本人は、千年以上にわたって水田を耕作し、米を作ってきた。
各地で、自然の地形や気候、風土と折り合いをつけ、営々と維持してきた。
水田は、人工物ではなく、日本の自然の大きな要素になっているのである。

上流の山々に降った雨や雪は、川を流れて田を潤し、海へ注ぐ。
水田は、川や湖沼や里山と一体になって、多くの動植物の生息する場にもなってきた。
我々の祖先は、そうした環境をみごとに築き上げ、米を作ってきた。

今、環境問題がクローズアップされ、自然との共生が重要と認識されるようになってきた。
水田は、そのもっとも理想的なモデルであることに気づかなくてはならない。
二酸化炭素を吐き出す車を生産する企業が栄える一方で、水田は二酸化炭素から静かに米を生産している。

◆自然との共生環境
朱鷺やコウノトリの自然繁殖の試みが続けられている。
彼らに必要な生息環境は、水田だ。
水田には、餌のドジョウやタニシがいて、そのまた餌がいて、さらに食物の連鎖がある。

昭和30年代からの高度成長=物質主義の下、水田には大量の農薬が投入され始めた。
やがて生物の生息環境は汚染され、その象徴として朱鷺やコウノトリが姿を消した。
一度失われた環境を復活させるのは大難事業となる。

◆豊かさの感覚の変容
働いて金を稼ぎ、その金で欲しいものを手に入れる、そんな豊かさを求めれいた。
ストレスに耐え、あくせくと働いた結果の豊かさであった。
貧しい社会からの脱出のためでもあった。

しかし、今や物質主義、拝金主義にうんざりした人が増えているようだ。
官僚は腐敗し、偽装がはびこり、政治家は頼りなく、マスコミも情報力はもう無い。
はやりの「おしりかじり虫」でも『かじってナンボの商売だ』と歌う。

日常のゆったりした生活と自然に包まれた環境に「豊かさ」を求める時代になってきた。
実は、もっとも身近な自然は「水田」で、しかもそこは米の生産地でもある。
これを保全することは、日本が古来から得意とする自然との共生への回帰である。

◆日本の位置付け
農林水産業を手厚く支援・保護し、緑豊かな国土の保全と食料の確保を図る。
福祉・医療・年金・教育の体系を早急に再構築し、国民が安心して暮らせる社会にする。
こうした国土と国民が生み出す文化、芸術、技術は、きっと世界をリードするに違いない。

大量生産大量消費の経済は、まもなく行き詰まる。
グローバル化には対応しつつも、恵まれた自然環境を大切にする国になりたいものである。
われわれは、やはり、水田に象徴される『豊葦原瑞穂の国』を目指すべきではないだろうか。

2008年01月03日

米作りを考える3 ~ 食べ物無ければ国は無し

食料自給率が40%を切ったという。
きわめて深刻な状況だ。
自分の国で生産する食料では、国民が食べていけないのである。

◆食べ物は世界から買い続けられるか
世界から安い食料を買うのは、けっこうなことだ、という人達がいる。
いろいろな食料輸出国と仲良くして、輸入のリスク分散をすればよい、という。
脳天気もいいところだ。

豪州では、かんばつで小麦が凶作になった。
米国では、トウモロコシのバイオ燃料への転用が進んでいる。
中国では、13億人の食料を輸入に依存する度合いを高めている。

世界的な砂漠化による農地の減少が進む。
米国の穀倉地帯の地下水はやがて枯渇する。
食料はどこからか手に入る、などの甘い幻想を信じてはならない。

◆食べ物無ければ国は無し
食料さえあれば、人は命をつなぐことができる。
江戸時代に戻る位の覚悟で智恵を絞れば、日本はある程度しのげると思う。
その基本は米作りだ。

水田耕作の米は、千年以上連作しても問題がない。
米は、日本の自然、風土、地形にぴったりの主食作物だ。
今後の世界では、軍事力(最小限は保持)よりも、食料生産力の方が重要になる。

◆資本の論理による市場経済のひずみ
そもそも食料自給率が急降下したのは、大量生産大量消費経済のせいだ。
食品メーカー、スーパー、外食産業などは、海外から低価格の食料を大量に輸入した。
効率優先の大資本主導のアメリカ式市場経済が、社会を支配した。

彼らの巧みな広告宣伝に乗せられて、消費者も政府もその流れに取り込まれた。
消費生活も食生活もガラリと変ってしまった。
国内の多くの小規模生産者は、たちまち苦境に立たされ衰退していった。

◆効率化の概念で米作りをつぶすな
そうした中で、米は辛うじて自給率を維持してきた。
しかし、食生活の変化で、米の消費は落ち、米価も低下を続けている。
もはや米作り農家の経営が成り立たない水準だ。

重要なのは、米作りの苦境は、農業問題ではなく、国の存立の問題であると認識することだ。
効率優先の経済のひずみによる問題を、米作りの効率化で解決しようとしている。
基本的に誤った政策概念で、米作りをつぶしてはならない。

2008年01月01日

米作りを考える2 ~ 米作りの効率化について

◆米作り規模の拡大政策
高齢化と過疎化が進む農村。
狭い農地、割高な米作コスト。
米の消費減少と自由化の圧力

もはや猶予はない。

農地を集約し、経営規模を拡大する。
後継者不足による休耕田や耕作放棄地の発生を食い止める。
コスト削減を図り、外国産米に対抗する。

新しい農業政策が推進されている。

◆規模拡大の考え方の本質
基本は経済学である。
要は、生産規模を拡大すれば単位当たりコストは低減する、ということである。
製造業では、それが実証されているといえる。

規模拡大で米作りは立ち直ることができるのか。

◆米作り再建についての個人的考え
個人的考えでは、現在のような政策はやがて挫折すると思う。
米作りを米作りの枠だけの政策で再建することは不可能だ。
次回から、以下の項目で私見を述べていくことにしたい。

①食料安保は効率化を基準にできない
②水田耕作は国土保全の要だ
③大規模化しても世界では小規模だ
④製造業の驕りを正せ
⑤米を知らずして米を語るな
⑥既得権益の壁を取り払え
⑦食事の構成を変えよう
⑧小規模米作りの価値を理解しよう
⑨米作りへの思いを尊重しよう
⑩農家にIT化や販売努力を求めるな
⑪徴農制を検討しよう