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『blog農!』へリニューアル

◆『blog米作り』から『blog農!』へリニューアル
「米作り」の実態を知りたくて、2006年の田植えから、写真とビデオの撮影を始めた。
以来、毎年、新発田で田植えと稲刈りを中心に撮影を続けてきた。
そして、農家の方々にいろいろな話を聞かせていただいた。

機械化された現代農業とハサ掛けの伝統的農業の対比もできた。
国策で進められる規模拡大の機械化農業は、<持続可能性>に欠けると思う。
一方、絶滅へと追いやられている伝統的農業は、<持続可能性>がきわめて高い。

これから重要になるのは、<持続可能性>を保つ社会である。
伝統的農業は、弥生時代からずっと持続し、その中で「日本人の心」も育んできた。
伝統的農業を間近で観察していると、そのことを体感できる。

この伝統的農業を我々の世代で途絶させてはならない。
存続させるにはどうするか。
「見聞」から「提案」への転換が必要になった。

blog名も「米作り」を拡張して『blog農!』とした。


◆さらに背中を押した三つの要因
ひとつは、昨年(2012)、
-- ・「見聞」の主役を果たしてくれたHさん(75)とIさん(90)が引退を表明した
ことで、覚悟していたとはいえ、やはり、ショックであった。

新発田へ「米作り」の「見聞」に行く拠り所を失った。
西長柄のHさん宅は、「米作り」から完全に撤退する。
米仙人のIさん宅は、娘さんが伝統的農業を継承する。

お二人には、ただただ深く感謝させていたくのみである。
ご健在の間は、これからも貴重なお話を伺いたいと思っている。
Iさんの娘さんには、伝統的農業を継続できるよう支援の輪を作らなくてはならない。

  ◇ ◇ ◇

ふたつは、
-- ・孫の男の子が3歳となり、この子に「故郷」を作りたいと思った
ことで、それには伝統的農業の環境が最適と確信した。

実は、伝統的農業は「米作り」だけでなく、自然と共生し、「日本人の心」も育む。
日本人が日本人らしいのは、「日本人の心」を備えているからだ。
伝統的農業の<多様な持続可能性>と機械化農業の<単線的な効率>の決定的な差である。

幸いにも、自分は「故郷」といえる伝統的農業の<想い出の風景>を持っている。
しかし、息子や娘には「故郷」といえるものは何も与えてやれなかった。
つぎの世代である孫に「故郷」を実体として与えられるのは<爺=自分>の世代なのだ。

伝統的農業の環境を孫に与えてやりたい。
新発田には、まだ、伝統的農業を復元・継続できる環境が断片的に残っている。
孫にとって、息子達にとっても、良き「故郷」になる可能性が高いと期待できる。

  ◇ ◇ ◇

みっつは、
-- ・「米作り」農業は、<経済効率優先>の下、「米の製造業」と化している
ことで、農業が本来持つべき<持続可能性>は軽視されている。

<経済効率優先>では、あくなき機械化やIT化が推進され、化学肥料と農薬が散布される。。
土を愛する、故郷を守る、自然と共生する、などは効率化の障害とみなされる。
<持続可能性>よりも、目先の利益の追求が優先されるのだ。

野菜の世界も状況は深刻だ。
F1野菜は、生産・流通のために<経済効率優先>で開発された一代交配雑種である。
雄性不稔のミトコンドリアを持つF1は、まともな雄しべや花粉を作らず一代限りだ。

その遺伝子異常のF1野菜が青果市場を席巻している。
玉ネギもどきのF1玉ネギ、そしてF1小松菜、そしてF1大根、そして、…、…。
もはや都会では伝統野菜は姿を消し、F1野菜を食べるしか術(すべ)はない。


◆傍観できない!
農業と社会を蝕む<経済効率優先>社会。
「自然との共生」を軽視し、「日本人の心」の源を消滅させる<経済効率優先>社会。
傍観するわけにはいかなくなっっている。