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2017年06月07日

長崎紀行を断念、ホテル不足の極み

◆長崎へ行きたかったのに…
 360度カメラを携えて長崎へ行く計画を検討してみた。
 長崎には、360度で撮影してみたいポイントが数多くある。
 三泊四日は欲しい。

 結論は「断念」。
 理由は「極まりのホテル不足」。
 たぶん、海外からの観光客で溢れているのだろう。

 数日先の予約では、一泊2万円以上でないと空室がない。
 小シングル(8平米、バス・トイレ付き)という狭い部屋で、7千円!
 カプセルホテルでも、5千円超!

 こんなところに無理をして泊まる気になれない。
 2010年頃は、東横インに6千円位で泊まれたのだった。
 こうなると『民泊』に期待した方がよさそうに思う。

◆お城と街歩きへ
 長崎に代えて、彦根城と姫路城、倉敷と鞆の浦への紀行を検討している。
 ホテルの予約と天候がマッチしたら出かけたい。
 梅雨入り寸前の今週中にチャンスは来るだろうか?

2007年04月27日

ぶらぶら長崎:ヘイフリ坂から風頭山へ(下)

3月20日(火)正午頃、ヘイフリ坂から風頭山頂に到着。ポカポカ陽気。
小川ハタ店のすぐ横が、「風頭山公園」の入り口で、階段を上るとハタ揚げ広場。
ここでは、ハタ(凧)揚げの競技会が開かれるそうな。

写真ギャラリー

ところどころに岩が露出している平坦な広場。ウォーキングしてる人がいる。
まあまあの展望。ベンチで休んで、ペット茶を飲む。うまい。
山の裏側はずーっと住宅街。標高100M以上。

遊歩道をしばらく進むと「上野彦馬」のお墓があった。
我が国の職業写真家の祖、この人の写真館で撮った龍馬の写真が数枚遺されています。
カメラを持つ身でもあるので、墓前に参り合掌、感謝。

龍馬像では『ぶーつ』をはいているのを確認。
展望台からは、女神大橋がよく見える。
ぜひ夜景を撮りたいスポット。

もうすぐ桜の花見で、あちこちで準備が進められている。
横断幕をかけているところを通りかかったら、「お客さんが通るぞ」の声。
『お客さん』と言われるなんてもったいない、と同時に長崎の人の「おもてなしの心」に感銘。

公園を抜けて、龍馬通りの下り口に到着、石段を下りる。
途中で寄った「龍馬のぶーつ像」のところでネコに会ったことは、前に紹介しました。
「亀山社中資料展示場」は、平日のためお休み。あとは一気に寺町通りまで下りた。■

2007年04月25日

ぶらぶら長崎:ヘイフリ坂から風頭山へ(上)

3月20日(火)午前、快晴、ヘイフリ坂入り口。
ここから風頭山(かざがしらやま)頂上まで17分と、崇福寺近くの案内図にあった。
よし、上って龍馬通りを下りてみよう。

写真ギャラリー

皓台寺と大音寺の塀に挟まれた坂道を上りはじめる。
坂道を上りながら、考えた。
なんで『ヘイフリ坂』っていうんだろう?

(あとでネットで調べた:【ヘイフリ坂の由来】
1637年、諏訪神社の大鳥居を建てるのに、この坂から石材の風頭石を降ろした。
その際、運ぶ人夫を鼓舞するのに御幣を振った。それで『幣振り坂』。カタカナの理由は不明)

「→イネの墓」の表示が気になる。イネとはどんなお方だろう?
やがて石段が始まる。
ここは長崎、もう覚悟はできている。<序の口>

坂は、お墓の参道と上の住人の生活道路を兼ねており、幅が広く石段も整備されている。
そして「↑楠本イネの墓」の表示。<序二段>
しばらく上ると、「↑楠本イネの墓」の表示。<三段目>

ついに「楠本イネの墓」に到達。
「シーボルトゆかりの人々の顕彰碑」があって、三人の名が刻んである。
楠本イネさんは、シーボルトの娘で、日本初の女性産科医であった。

石段をさらに上る。<幕下>
ようやく墓所が終り、住宅街の坂道に出る。展望も開けて、港や街が見渡せる。<十両>
うっかり側溝に足をとられて、よろけてカメラを路面にぶつけた。ヒヤリ。

住宅の間のゆるい坂を左へ曲がると、「小川ハタ店」のところに出た。<幕内>
店内を拝見。ハタとは、長崎独特の凧。ハタ・シールとミニ・ハタを買って、600円。
もう風頭山頂上。■

2007年04月14日

ぶらぶら長崎:龍馬のぶーつ像とネコ二匹

3月20日(火)お昼過ぎ、快晴。
ヘイフリ坂(実は石段)を上って、風頭山から龍馬通りへ下ってきた。
(ヘイフリ坂については改めて報告)

亀山社中跡のすぐ先にある『龍馬のぶーつ像』に立ち寄る。
昨年12月に来たときは撮影不十分で、その補充をしたかった。
そこで出会ったのが、春の陽射しの中でのんびりと日向ぼっこするネコ二匹。

2007.03.20
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近付いても全くお構いなしで、寝そべっている。
「先に来て、場所をとったのは自分達だ。
あとからきたお前がよけて通れ」という態度。

どうも長崎のネコは、こういうのが多い。
公園のベンチでも、西洋館の窓べりでも、実にゆうゆうと昼寝している。
よそ者に人みしりしない。敵ながらあっぱれで脱帽。

ま、こんなネコに出会って写真を撮る旅も幸せだ。
カメラを構えてシャッターを押す。
ところが、シャッターを押しながら、ふと思った。

ネコの写真を撮ってる自分と、それを見つめてるネコとどっちが幸せなんだ?
哲学的思考の瞬間。
どうもネコに分がある。

2007.03.20
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ネコ「わざわざ東京くんだりから長崎まで来て、旅の幸せだなんて笑わせるね。
いつもここで、のんびり暮らしてる我々をみならったらどうだい」
恐れいりました。

【ここで一首】
  <ぶらり旅 龍馬のぶーつ像に ネコ二匹 撮る幸せは 撮られるに及ばず>

2007年04月05日

ぶらぶら長崎:京劇に出会う

思いがけず、京劇に出会いました。
3月18日(日)午後、ふらりと入った長崎歴史文化会館。
入場券を買うとき、京劇展が開催されていることを知りました。

通常展示の2階が600円、3階の京劇の企画展が600円。
「両方入場できるお得な券が900円でございます」と係の女性。
う~ん、京劇展か、どうしようかな。ま、見てみるか。(その程度の関心)

「2時から、京劇のワークショップがございます」とおっしゃる。
ともかく、3階をひと回りするとしよう。
京劇を少しは分かった気がした頃に、ワークショップ開始のお知らせ。

展示場の一角に並べられた椅子に腰掛けました。
ワークショップとは、京劇の役者がデモ演技と解説をしてくれる場、でした。
まず、2人の楽士が登場、ドラや二胡の演奏、すごい迫力。

ついで、メークアップした4人の役者が登場。
この方々は、このあとまもなく、ホール(140席)で「西遊記」に出演されるとのこと。
京劇における4役で、3人が男性、1人が女性。

女性の方が、きれいな日本語で各役柄を解説し、4人がデモを演じてくれました。
すぐ目の前で、迫真の演技。舞台を見るとは別のすばらしい体験であったと思います。
中国語なので意味は分かりませんが、それでも何かが心に伝わってくるのです。

すっかり感動して、舞台を見たくなりましたが、チケットは完売。
当初は人気が今ひとつだった公演が、しり上がりに好評を博していると、あとで聞きました。
ワークショップを体験して当然と思います。観て感動した人の口コミが大きかったのでしょう。

頭がくらくらと興奮して、2階の展示は通過しただけ。
1階のお土産ショップで数点買って、博物館を出ました。
ぶらぶら旅の貴重な思い出のひとときになりました。■

2007年04月03日

ぶらぶら長崎:路面電車~ポイントの切り替えは?

路面電車に乗るたびに気になっていました。
車庫を案内していただいたMさんに伺いました。3月21日。

Q1)軌道の分岐ポイントの切替えはどこでするのですか?

A1)運転士が手動操作で切替えます。
①運転士が、ポイント手前で電車を停めて、進行方向が右か左かのボタンを押す。
②すると、パンタグラフについているバーが、右か左かにセットされる。
③電車を進行させる。
④パンタグラフのバーが、架線に付けられているスイッチに触れる。
⑤ポイントが指定方向に切替わる。
⑥運転士が切替えを確認して、ポイントを通過する。
(聞き取りが、ややあいまいなところがあるかと思います)

所感)そうだったのですか。
それにしても、面白い方法ですね。
運転士が自ら操作・確認するのは、もっとも安全で確実と思います。
路面電車の謎がひとつ解決しました。ありがとうございました。■

2007年04月01日

ぶらぶら長崎:路面電車~車庫訪問

3月21日(水)10時すぎ、路面電車の浦上車庫を訪問。
祝日でアポイントなしの飛び込みでしたが、
居合わせたM主任が、親切に車庫内を案内して下さいました。

「よく、電車の写真を撮りたいという方が見えます」とのこと。
実にいろいろな型式の車両がある。
次々と説明していただく。

最初は、元・都電、なつかし~い。(写真を撮り忘れ)
昭和30年代の学生時代に、17番とか35番の路線でよく乗ったっけ。
製造後50年ほどなのに、現役で活躍中。

その前に停まっていたのが元・熊本市電。
ちょっと奥に木製の電車もあって、もちろん街を走ることもある。なんと大正14年製。
ドアは手動開閉で、車掌が同乗する必要があるので、イベント用とか。

2007/03/21
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カラフルな車体広告の電車が数両、街でもよく目立つ。
バリアフリーの超低床式の3000型電車は、出勤中であったが、
運転指令所で、5分ほどで戻ることを確認してくださった。

やがて、グッドデザイン賞に輝いたというスマートな車体が現れる。走行音も静か。
くねくねと3両つなぎのように見える最新型。定員は他の型より少ない63名。
3両あって、2両がここ浦上車庫、1両が蛍茶屋車庫に所属。

2007/03/21
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今回は初めての見学だったので、ワクワクキョロキョロの30分でした。
Mさんの親切なご説明とご配慮に厚く御礼申し上げます。
ぜひ、もう一度見学させていただきたいと思います。

→ 路面電車の詳しい情報は、長崎電気軌道株式会社のホームページをご覧下さい。

【ここで一首】、
  <チョイ乗って チンゴーゴーで チョイ降りる 路面電車は 長崎の足>

2007年03月31日

ぶらぶら長崎:宵闇の長崎

明るさの残る空と暮れなずむ街並み。
ポツリポツリと明かりがともっていく、宵の長崎もまた格別の風情。
グラバー・スカイロードから。

2007/03/17 18:51
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ちょっと風が冷たい。
一日が終り、華やかな夜の始まり。
このあと、思案橋界隈を探訪。

【ここで一首】
 <宵闇の 包む長崎 ともる灯に 水面ゆらゆら 想いゆらゆら>

2007年03月30日

ぶらぶら長崎:夜景~女神大橋

JR長崎駅を見下ろす高台(立山のホテル長崎裏)から撮影。
長崎港の入り口にかかる女神大橋のライトアップ遠景です。
撮影スポットとしてはまずまずでしょうか。

2007/03/19 19:07
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ここは、前日の午前中に下見をしておきました。
そのときは、ふもとの東本願寺の墓地を抜ける石段を登りました。
ちょうどお彼岸で、お墓参りの人達が多く見受けられました。

お年寄りの夫婦が、花などを手に、ゆっくりと一段また一段。
長崎はお墓参りも坂と石段で、たいへんです。
線香の煙と香りが漂う中を、約30分で、高台のバス通りへ。

夜景撮影では、駅前東口停留所から県営バスで18時頃に現地到着、所要20分ほど。
まだ明るくて、待つこと1時間、19時には暗くなり、女神大橋もライトアップ。
撮影終了後、前日と同じく石段を降りて、約20分でふもとのお寺の通りへ。

そんな苦労の割には、グッドショットは1枚だけ。
実際はパノラマ合成用に何枚も撮影したのですが、結果は失敗。
夜景のためか、ソフトウェアが自動合成してくれません。

手作業でパノラマ合成しても、どうも自信のある作品にならないのです。
そもそもは合成しやすいように、目標物を多く重ねて撮影すべきでありました。
次回に再チャレンジして、女神大橋の夜景パノラマをお目にかけたいと思います。■

2007年03月28日

ぶらぶら長崎:第2回長崎紀行

3月17日(土)~22日(木)の5泊6日で、長崎へ行ってきました。
天候にも恵まれて、いろいろと楽しむことができました。
雑多な目的を持って、行き当たりバッタリの紀行でした。

 ◇ ◇ ◇

新しい夜景スポットからの撮影
路面電車の車庫を見学
ヘイフリ坂を登って龍馬通りを降りる

出島
歴史文化博物館
京劇のミニ・ワークショップの見学

永井隆記念館
シーボルト記念館
トンチンカン人形との再会

皿うどん
南蛮茶の薀蓄
マグロ丼を求めて

夜の思案橋界隈探訪
点心のお店の閉店
etc., etc.

 ◇ ◇ ◇

順不同で、ぶらぶらと紹介・報告していきます。■

2007年01月10日

ぶらぶら長崎:旧町名の復活

長崎市で、1月9日に二つの旧町名が復活しました。
「銀屋町」と「東古川町」。
長崎市ホームページに掲載されています。(下図を借用)

machi.jpg

先日、彼地を訪れたとき、復活することを聞いていました、
帰京後、地元の方のホームページでも拝見していました。
龍馬通りを歩いた(昇って降りた)帰りに、銀屋町通りも歩いたのは偶然の縁。

二つの旧町名は、1966年(昭41)に古川町と鍛冶屋町に統合・分割編入されたとのこと。
これは、1961年(昭36)に施行された「住居表示に関する法律」によるものでした。
道路で町を分割し、何々町何丁目式の町名が採用されました。

旧町名は、道路を挟んで、両側で一つのコミュニティだったのです。
町が分割されても、お祭りの山車や神輿などは、旧町内で多く維持されています。
由緒ある町名の廃止は、歴史・文化の軽視と効率偏重の産物であったとも言えます。

旧町名の復活は、そうした状況に変化をもたらすきっかけになると思います。
努力された住民の方々に敬意を表します。
今年の「くんち」では、両町は最高に盛上がるのではないでしょうか。

 ◇ ◇ ◇

実は、旧町名の復活では、金沢市が長崎市の先輩です。
さすが加賀百万石の城下町です。
読売新聞のYOMIURI ONLINEの「北陸発」(2002年10月16日)の記事を引用します。

金沢市では
1999年に「主計町(かずえ)まち)」を、
2000年に「飛梅町(とびうめちょう)」と「下石引町(しもいしびきまち)」を復活。

また、片町の一部にあった旧「木倉町(きぐらまち)」と、
広坂の一部にあった旧「柿木畠(かきのきばたけ)」を
よみがえらせようという計画があります。

この記事では、旧町名の復活の意義や手続き、課題なども論じています。
町の変化や住民の意識なども関わり、ただ旧に復するというわけにもいきません。
それでも、旧町名を知る人が健在な今が勝負所ではないでしょうか。

2007年01月09日

ぶらぶら長崎:夜景写真ギャラリー

写真ギャラリー

夜景のLサイズ版の写真ギャラリーを作成しました。
前回(12/19)のスライドショーの縦横2倍の写真です。
やはり、迫力がずいぶんと違います。

通常の写真はスライドショーで、セレクト写真はギャラリーで展示していきます。
FLASHは優れたソフトウェアで、こんな展示が可能になりました。
つぎはガイドマップに応用してみようと思っています。

2007年01月07日

ぶらぶら長崎:ビデオ風景

昨年12月初めの長崎行きのビデオを「FLASH」でまとめてみました。
数本のビデオを一画面で見ることができます。
作成に数日かかりましたが、まずまずのビデオギャラリーです。

ビデオギャラリー

ただ、よいビデオがほとんど撮れていなかったので、反省しきり。
特に風景では、何を狙っているのかがあいまいでした。
風景のビデオ撮影の未熟さを実感しました。

「夜景」は、まずまずの映像です。
「風頭」は、鳥のさえずりに救われています。
「グラバー」では、観光客の切れ間に急いで撮影した様子がありあり。

「路面電車」は、浜町交差点の歩道橋の上から撮影。(浜町は、『はまんまち』と読みます)
いろいろな型式の電車が、つぎつぎと現れてきます。
ほとんど全部の型式に乗りましたが、ゴトンゴトンという響きは、まだ感触が残っています。

春になったら、もう一度、長崎に出かけてみようと思っています。
ビデオだけでなく、もっと知りたいことがいろいろあるからです。
長崎の魅力に強く惹かれています。

2007年01月02日

ぶらぶら長崎:龍馬通り

12月5日、龍馬通りを散策しようと出かけた。
諏訪神社前電停で降りて、地図を見ながら、入り口に到着。
な、なんと、坂の上り口。

龍馬通り

ここは長崎、「通り」が坂だからって驚いちゃいけない。
ずーっと、家が続いていて、生活している多くの人達。
坂本龍馬もこの坂の上の方に住んでいた。

けっこう急で、はじめは軽やか、やがて重くなる足運び。
見上げても、見下ろしても、くねくね曲がった坂道。
でも、とてもきれいに整備されていて、住民の方々の心意気が偲ばれる。

 ◇ ◇ ◇

「亀山社中」は、貿易商社の前身のようなもので、龍馬があのグラバーの助けを得て設立。
海外から武器を輸入して、長州藩に供給し、後の薩長同盟につながることとなった。
龍馬の卓越した構想力、交渉力、実行力などが発揮されていると思う。

 ◇ ◇ ◇

「風頭山」(かざがしらやま)の頂上の展望台からは、市街と港がよく見える。
「龍馬像」は少し離れた別の高みにある。
この一帯は公園で、桜の季節にはライトアップされるとのこと。

ガイドブックで確認したら、公園の裏手にバス停があり、そこから散策スタート。
つまりは、坂を150mも上らずに、下りていくコースがお勧めとなっていた。
でも、坂は上る方が楽しい、と負け惜しみ気分。

2006年12月30日

ぶらぶら長崎:大浦天主堂の鐘の音(ビデオ)

大浦天主堂の鐘の音

大浦天主堂の鐘が、がらーんと鳴り始めた。
12月2日の正午、グラバー園。
まったく予期していなかったので、録音できず。

12月5日の正午、外から駆けつけて入園、ビデオを構える。
明るく優雅な鐘の音を収めることができた。
これは長崎の音。

2006年12月27日

ぶらぶら長崎:グラバー園

長崎港を見下ろす南山手の丘。
幕末の開国以来、外国人居留地であったこの地。
グラバー邸を中心に、当時の洋式住宅8棟が集められているグラバー園。

グラバー園

12月2日(土)、各建物を回遊する遊歩道をたどった。
建物の中も見学できるので、往時の外国人の住宅の様子がよく分かる。
調度品なども多く展示されている。

①三菱ドックハウス
②ウォーカー住宅
③長崎地方裁判所長官舎
④リンガー住宅
⑤オルト住宅
⑥スチイル記念学校
⑦自由亭
⑧グラバー住宅

随所で、すばらしい港の景色が楽しめる。
てっぺんの三菱ドックハウスの前から、グラバー住宅の前から、そして、
ウォーカー住宅のテラスからの眺めも趣がある。

自由亭の2階の喫茶室でコーヒーを飲みながら、港に入る船を追う。
汽笛が「ボー」と鳴る。
長崎だなぁ。

ここグラバー園は、シーズンには夜間開園する。
ビアガーデンや、文明開花時代の料理などを楽しめるという。
市民には入園無料期間がある。

2006年12月24日

ぶらぶら長崎:オランダ坂

坂の長崎:

オランダ坂

オランダ坂を歩いた。
12月3日(日)、大浦海岸通り電停から、やがて、坂の入り口へ。
石畳も坂を上る。車もけっこう通る。

坂が二股に分かれて、右がオランダ坂の本道のようだ。
左手の石垣の上に、活水女子大学の大きな三角屋根が見える。
左へたどって、また坂を上って行く。

まもなく突き当たると、「東山手十二番館」。
明治元年(1968)にロシア領事館として建設されたらしい。
現在は、活水女子学園の同窓会会館であるが、一般無料公開されている。

この建物の手前で、左へ登って行く坂がある。
どうしようかと迷っていると、ちょうど写生をしているグループがいた。
「この坂はいいよ。上りきったら右へ下りていくと、下のオランダ坂と合流」と教わる。

この坂はところどころ階段で趣がある。
教わったとおりに歩いて、「東山手洋館住宅」へ。
ほとんど同じ造りの数棟の洋館が並んでいる。

さらに、下ってようやく平らな道に出て、「孔子廟」へ回る。
併設の中国歴代博物館で、蓁始皇帝の兵馬ようの実物大複製などを見る。
約2時間のぶらぶらの後、石橋電停へ。

2006年12月19日

ぶらぶら長崎:夜景

夜景のスライドショー

デジタル一眼レフで夜景を撮りたい。
ならば、長崎か函館。
で、12月1日~6日に長崎へ。

長崎の夜景は、稲佐山が1000万ドルとか。
12月4日月曜日、昼のうちに下見に出かけた。
しかし、シーズンオフになり、ロープウェイが定期点検中。

かなり遠回りのスカイウェイ(空中ゴンドラ)経由で、稲佐山頂上へ。
他には、数人の観光客グループがいただけ。
342m、風も強くて寒いので、とても夜に来る気がしなくなった。

昼の展望もかなり良い。
夜景はきっとすばらしいと思う。
季節を改めて来ることとして、今回の稲佐山夜景は敬遠。

 ◇ ◇ ◇

グラバー園の夜間開園もないし、と弱っていたら、よいスポットがあった。
路面電車と無料のエレベータで手軽に展望が楽しめるグラバー・スカイロード。
標高は低いけど、夜景が十分楽しめる。

ここからの夜景とライトアップ(大浦天主堂、眼鏡橋)で「長崎の夜景」を構成。
「FLASH」でスライドショーに編集。
初めての組合せだったけれど、まあまあの作品と自己満足。

2006年12月07日

ぶらぶら長崎:はじめに

長崎へ行ってきました。
ちょうど40年ぶりです。
ぶらぶら歩きと路面電車で街の南半分位を回りました。

 ◇ ◇ ◇

夜景はさすがに見事でした。
昼間の街の展望もすばらしい。
港を囲む坂の町だからでしょうか。

オランダ坂などあちこちの坂を昇って降りました。
高みに向かって、坂、石段、坂、石段が延々と続きます。
住宅も公園も学校もお寺も斜面の途中に並んでいます。

歩くほどに奥行きを感じる、ちゃんぽんの街です。
「華」が目立ち、「洋」が構え、「和」もなかなかです。
江戸・明治からの歴史を市民の力で守っています。

協会の鐘の音、船の汽笛、路面電車の響きの街です。
観光シーズンはオフでも、修学旅行生などがかなり目立ちました。
車がいっぱいでした。

 ◇ ◇ ◇

ビデオカメラとデジタル一眼レフは、よく働いてくれました。
Flashで編集して、今回、私の見た長崎を紹介していきます。
「味」はお伝えできませんが。