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2017年07月26日

ことば:近江商人 「三方よし」の教え

◆売り手よし、買い手よし、世間よし(三方よし)
 これが近江商人の商いの教えだという。

  ・NHKラジオ第一
  ・2017.07.22(土曜早朝=金曜深夜) 
  ・ラジオ深夜便/明日へのことば
  ・「近江商人の 商いに 学ぶ」
  ・岩根 順子/NPO法人「三方よし研究所 」専務理事

 詳しくは、次のYouTubeで番組の録音を聴いていただきたい。

  → こちら
 
 (このサイトは、いずれ削除されるのでご注意)

◆「三方よし」とは?
 ゲストの岩根さんは、番組の最後に次のように話された:

  「売り手よし」と「買い手よし」の組み合わせで利益が生まれる。
  その利益を、世間に還元することで、「三方よし」は完結する。
  それでこそ、商売は永く栄え続けることができる。

◆「世間よし」を忘れた企業
 今の企業経営では 、「世間よし」が忘れられて久しい。
 ひたすら利益を上げ、株主に配当を貢ぎ、内部留保を貯め込む。
 社員の給与を抑え、下請けをたたき、研究開発を怠り、設備投資を先送りする。

 これでは、企業が短期的に栄えるだけで、社会は停滞する。
 もし、社会が沈黙すれば国は衰え、社会の不満が爆発すれば国は混乱する。
 経営者たちは、改めて「三方よし」の教えを噛みしめるべき時だ。

◆追記
 番組のゲストの方は、彦根市で会社を経営しながらNPOとして活躍している 。
 6月に彦根を訪れたばかりなので、特に心を惹かれて番組を聴いた。
 また、最近、滋賀県が長寿日本一というニュースもあった。

2016年08月11日

ことば:天皇陛下のメッセージ(所感と全文)

【所感】

◆心に沁みるメッセージ
 8日、天皇陛下の「生前退位」に関わるお考えがビデオ放映された。
 心に沁みるすばらしいメッセージであった。
 国民の『象徴』である天皇ご自身の思いを、平易な表現で語られた。

 穏やかで明瞭な口調に、強い説得力があった。
 全体のテーマは、明示こそされなかったが、「生前退位」の提起であった。
 その要因は、天皇の「老い」である。

 高齢のため、全身全霊で「象徴」の務めを果たすことが困難になるとの懸念を示された。
 摂政を置くことも、天皇が終焉まで務めを果たせないことに変わりない、と否定された。
 全身全霊で「象徴」の務めを果たせなければ、天皇ではない、とのお考えだ。

  ◇ ◇ ◇

 重い問いかけである。
 やむにやまれぬ、天皇による「内部告発」とも思える。
 国民の合意を受けながら、政治が速やかに動くべきだ。

◆印象的な一句
 陛下は、人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことを大切にしてきた。
 そのため、皇后とともに全国各地を訪れた。
 とりわけ、遠隔地や島々において、次のことを認識されたという。

   <どこにでも、その地域を愛し、共同体を地道に支える市井の人々がいる>

 このような人々が国の底辺を支えている。
 このような人々と接する天皇・皇后両陛下の姿勢は、TV映像でしばしば拝見できる。
 そこには、「象徴」と「国民」が一体化した「和」の世界があると、確かに感じられる。

  ◆ ◆ ◆

【全文】

(NHK Mews Web より転載)

天皇陛下がお気持ちを表明(全文)
平成28年8月8日 15時00分

「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示している天皇陛下は、8日、ビデオメッセージでお気持ちを表されました


象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)

 戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考
、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 
 国民の理解を得られることを、切に願っています。

2016年01月26日

ことば:ただ過ぎに過ぐるもの(枕草子)

◆「枕草子」第245段より
  ただすぎにすぐるもの  帆をあげたる舟。人のよはひ。春夏秋冬。
 (ただ過ぎに過ぐるもの 帆を上げたる舟、人の齢(よわい)、春夏秋冬)

  ◇ ◇ ◇

 「ただ過ぎに過ぐるもの」で一気に興味がそそられる。
 「帆を上げたる舟」が絶妙の一句で、実感し、納得。
 起・承ときて、「人の齢、春夏秋冬」に転じる。

 思わぬ展開は衝撃的だ。
 そして、「結」は読み手に委ねられ、つい、感慨にふける。
 ふと、冒頭に引き戻され、「ただ過ぎに過ぐるもの」が改めて心に深く沁み入る。

  ◇ ◇ ◇

 一文字の無駄もない。
 心の底に潜在的に渦巻いている哀感を、みごとに語り尽くしてくれる。
 清少納言は、1200年前にこれを書いた。

2015年06月15日

読書:『露の玉垣』

◆『露の玉垣』を読了
 12日、ようやく読了した、
 
 ・露の玉垣(新潮社 2007年):乙川 優三郎(絶版)

 越後の新発田・溝口藩の藩士の生き方を著した歴史小説。
 「小説新潮」に2006年6月号から連載された8短編が、単行本及び文庫本で発行された。
 18世紀後半に家老を務めた溝口半兵衛の「世臣譜」=『露の玉垣』を素材にしている。

 新潮社のHPから本書の紹介文を引用する:

  度重なる水害や飢饉に喘ぐ越後新発田藩。
  若き家老・溝口半兵衛は財政難に立ち向かう一方、二百年に及ぶ家臣の記録を書き始める。
  後に「世臣譜」と題される列伝は細緻を極めて、故人の人間像にまで及ぶ。
  そこにあるのは、身分を越えた貧苦との闘い、武家の葛藤、女たちの悲哀と希望である。
  すべて実在した人物を通して武家社会の実像を描く、全八編の連作歴史小説集。

◆読後感(全般)
 この小説には、立身出世や剣豪、武将、英雄、成功者などは登場しない。
 生きることに苦悩し、生き方を悩む人間像が描かれている。
 半兵衛の思いと乙川氏の思いが共振し、増幅して伝わってくる。

 乙川氏は埋もれていた「世臣譜」を発掘し、それを小説として蘇らせてくれた。
 「世臣譜」だけでなく、溝口藩の史料や関連資料を研究、実地踏査もされたと思う。
 城下町・新発田に、全く新しい光を当ててくれた貴重な作品である。

  ◇ ◇ ◇

 旧町名が多く出てくるので、古地図を参照しながら読むと、さらに、リアルさが増す。
 藤沢周平は、鶴岡・酒井藩を仮想モデルにして、フィクションの歴史小説を書いた。
 乙川氏は、新発田・溝口藩の史料を素材に、ノンフィクション的な歴史小説を書いた。

  ◇ ◇ ◇

 なるべく多くの新発田市民に読むことをお薦めしたい。
 しかし、江戸時代の元号、武家社会の制度などの基礎知識がないと、手強い小説だ。
 参加者を募って、読書会を開催するのが良いかもしれない。

  ◇ ◇ ◇

 小説の舞台な江戸時代であるが、どこか昨今の日本社会と通じるところも感じる。
 華やかな元禄時代から、瞬く間に、窮乏の社会に転落した。
 そして、窮乏は、いつの時代も、弱者に集中的に襲いかかるのである。

  ◇ ◇ ◇

 この小説を読むと、元の「世臣譜」の内容を知りたくなる。
 どなたか地元の方に、全文の解説書を編纂して欲しいものだ。
 しっかりとした企画でプロジェクトとして実現できればと思う。

2013年01月27日

読書:樋口一葉 『たけくらべ』

◆「恋する一葉」 ~ NHK BSプレミアム
樋口一葉の名作『たけくらべ』をこれまで読んだことはない。
文語調で旧仮名使い、読みの難しい漢字、どうにも取っ付きにくかった。
五千円札に印刷されえているけれど、一葉にも作品にも関心が薄かった。

それが、ある日一変した。

1/15(火)の朝、何気なくチャンネルを合わせた<BSプレミアム>。
その番組が「ドキュメンタリードラマ 恋する一葉」であった。
つい見入ってしまい、一葉の生き方を知って、すっかり感動した。

24日(木)の深夜の再放送で、初めから見直した。
わずか24歳の短い人生で、明治の女性作家の先駆者として、数々の名作を残した一葉。
その作品を一つも読んでいなかった自分が、実に情けない。


◆『たけくらべ』~ 朗読で聴く
で、代表作『たけくらべ』を、ぜひ、読んでみたくなった。
文庫本も持っていないので、<青空文庫>からファイル(XHTML)をダウンロード
早速、読みかけるが、やはり、すらすらとは読めない。眼も弱っている。

そこで、<朗読>してくれるサイトはないかと探した。
樋口一葉の朗読目次サイト:<新>日本名作文学朗読選(11) 樋口一葉
『たけくらべ』の朗読サイト:たけくらべ(朗読:yukari)~ 約120分

このサイトのyukariさんの朗読は、表現豊かで、とても聴きやすい。
おかげで、ついに『たけくらべ』を通読(通聴)することができた。
感謝感激!


◆『たけくらべ』~ 感想
明治28年(1895年)1月~明治29年(1896年)1月に雑誌に連載された。
22~23歳の一葉が貧困の中で織り上げた作品である。
一葉は、完稿の年の11月に、24歳6ケ月で亡くなった。

朗読をもう3回も聴き、そのたびに魅せられる。
一葉の描く世界に自分が佇んでいるように感じてしまう。
名作と言われるゆえんであろうが、『たけくらべ』は別格の名作だと思う。

文章は、簡潔で、適確で、繊細で、リズミカルで、広角で、色彩が鮮やかだ。
登場する子供達は、皆それぞれに『たけくらべ』をしながら、生き生きと生きている。
やがて入っていく大人の世界を見ながら、子供の世界を生きている。

女性でなければ書けない、明治でなければ書けない、文語調でなければ書けない。
そこに一葉がいなければ書けない、だから、一葉でなければ書けなかった。
『たけくらべ』はそういう小説なのだ。


◆「恋する一葉」の番組情報
[BSプレミアム] 2013/01/15(火)9:00-11:00(120分)
樋口一葉を演じる事になった2人の女子大生が、その実像をたどるドキュメンタリードラマ。
一葉の日記や新発見資料から、悩みながらものびのびと生きる一葉の姿を紹介する。

2011年12月09日

読書:「タネが危ない」

◆「タネが危ない」
野口 勲著
2011年9月5日発行 日本経済新聞出版社 1,840円
2011年9月7日購入

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◆きっかけ
日経新聞の広告で見たのだと思う。
発売直後に、荻窪の八重洲ブックセンターで購入。
置き場所が分らず、店員に探してもらったら、<ビジネス書>の棚にあった。

◆F1野菜の衝撃
内容は衝撃的で、「タネが危ない」どころか<日本人が危ない>のだ!!!

-- ・既に日本中を席巻するF1野菜は、『異常なミトコンドリア遺伝子』で作られる
-- ・F1とは、自然界の生物の原理に背いて、次の世代を再生産できない品種である
-- ・F1は、大量生産大量消費の経済原理がもたらす当然の帰結でもある

我々は「菜食は健康食だ」とばかりに、異常遺伝子のF1野菜を食べている。
ダイコンもニンジンもハクサイもタマネギもコマツナもブロッコリーもパプリカも…。
日本はそのF1から、もはや逃れられない状態にまで陥っているのだ!!

◆野口さんの警鐘
本書の著者・野口さんは、埼玉県飯能市で種苗店を経営している。
F1種は一切扱わず、在来種(固定種)のみを育成・販売している。
日本で唯一といわれる孤軍奮闘の種苗店だ。

その野口さんが、F1に支配される社会に警鐘を鳴らす:

-- ・F1という人工的で異常な野菜を食べ続けて、人間は大丈夫なのだろうか
-- ・本来の野菜の味を失ったF1は、伝統的食文化を崩壊させるのではないか
-- ・在来種(固定種)は絶滅の危機に瀕している

◆野口さんの知見
本書では、F1の歴史や具体的な生成手法、遺伝的特性などまで解説している。
各F1の生成方法は、企業秘密の厚いベールに覆われていて、詳細は分からない。
野口さんは深い知見で説明してくれるが、<遺伝>の基礎知識もないと理解は難しい。

ネットを探し回っても、野口さんの知見を越える内容の記事は見つからない。
F1の細胞のミトコンドリア遺伝子にまで踏み込んでいる記事は見当たらない。
だからF1野菜が健康に与える危険性をリアルに語れない。

◆まとめ
F1が健康に及ぼす影響をまとめると、

-- ・F1種は「雄性不稔」という異常なミトコンドリア遺伝子を利用して生成される
-- ・F1種のミトコンドリア遺伝子は、自らの種を再生産できない一代雑種である
-- ・異常なミトコンドリアの安全性(危険性)についての研究は、未だほとんど無い

たとえば、市場に流通しているタマネギの90%が、既にF1種だといわれる。
F1タマネギ1個の重さの約10%がミトコンドリアだそうだ。
こういうF1野菜を食べ続けて、ホントに我々の未来は大丈夫なのだろうか?

(F1については、引き続き「blog食!」で考えます)