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2014年10月07日

米作り「体験」~ピンからキリまでを

◆真の米作り「体験」とは
 要点は、つぎのようなものである:
  --・「伝統的米作り」を体験すること
  --・ピンからキリまで「体験」すること
  --・まずは、プロの作業を観察すること
  --・試行錯誤で実践すること

 ◇「伝統的米作り」を体験すること
  伝統的とは、田植え機や稲刈り機が使われるようになる以前の米作りをイメージする。
  昭和30年(1955年)頃までの様相である。
  この頃は、農薬も化学肥料も使われていなかった。

  とはいっても、牛馬で田を耕すわけにもいかないので、小型トラクタは必要であろう。
  その他も適宜調整して、できるだけ伝統的農法を実現する、ということである。
  いわば『百姓』の農業であるが、実践経験のある人は、既に、70代以上になっている。

 ◇ピンからキリまで「体験」すること
  先にも触れたように、「田植え」と「稲刈り」だけの「体験」では意味がない。
  米作りのピンからキリまで「体験」することが不可欠である。
  88の手間は一つでも省けない、と理解して初めて、真の「体験」となる。

  こうして、各作業の相互関係が理解できる。
  米作りの全体像を理解できる。
  米ができるまでの自然との関わりも理解できる。

 ◇まずは、プロの作業を観察すること
  「体験」の第一歩は、農業の職人(百姓)の仕事ぶりをじっくり観察することだ。
  職人の技、芸能の芸は、基本的には、観察して盗むものである。
  受け身で教えられるのではなく、自ら観察して、知識・知恵を取得するのである。

    ◇ ◇ ◇

  現代の機械式農法では、このような知識・知恵は得られない。
  現代のの米作りは、単純な米製造業と化している。
  田んぼは、米を作るためだけの場になっている。

  サラリーマンの仕事ぶりも、観察する価値はない。
  朝、出勤して、夜、帰宅するだけだから、途中はブラックボックスだ。
  観察したとしても、会議やパソコン操作や電話応対なぢで、何の価値もない。

 ◇試行錯誤で実践すること
  観察の結果を活かし、必要な指導も受けて、作業を実践してみる。
  試行錯誤をしながら、作業のコツを覚えていく。
  こうして得た知識は、身に付いた知恵になっていく。


  ◇ ◇ ◇

 米作りは、本来、自然と百姓の技・心が織りなす営みなのだ。

2014年10月03日

米作りの「体験」~イベントへの疑問

◆米作りの「体験」イベント
 米作り体験ということで、「田植え」や「稲刈り」のイベントが多く行われている。
 「田植え」では手で植え、「稲刈り」では鎌で刈り、天日干しにする。
 いずれも、現代の機械式農法ではなく、伝統的農法を採用している。

 米作りの「体験」とは、土と米に直接接することだ、と認識されているからだ。
 機械式農法では「機械の操作の体験」しかできない、といえる。
 しかし、その伝統的農法の「田植え」と「稲刈り」の「体験」にも、落し穴がある。

◆イベントの裏のエピソード
 たまたま、新発田の喫茶店で相席した方からこんなエピソードを聞いた。

 ある小学校で休耕田を借りて、生徒に「田植え」と「稲刈り」の体験授業をしている。
 「田植え」と「稲刈り」はいいのだが、その間の稲の管理は父兄が交代で担当する。
 ところが、どの父兄も一年で辞めてしまい、引き受け手がなく困っている。

 なぜか?
 ひとつは、田んぼの管理がきわめて大変な作業であることだ。
 担当父兄の仕事や生活に重い負担を強いられる。
 
 ふたつには、外野から、遠慮ない批判が浴びせられること。
 水管理、追肥、草取り、病虫害防除などが、ダメとか、ああしろ、こうしろとか。
 もう、やってられないよ!

◆イベントによる「体験」の落し穴
 米作りは、88の手間がかかるという。
 その中の「田植え」と「稲刈り」だけをピックアップする。
 それが、ほとんどの「体験」イベントである。

 しかも あらかじめいろいろとお膳立てされた「体験」だ。
 また、一人が植えるのはせいぜい1列か数列。
 実際のの田植えは、大きな田んぼで朝から晩まで植え続ける。

 米作りには、エピソードでも触れたように、たいへんな作業が隠されている。
 それが「体験」されることはない。
 イベントは、「田植え」ごっこ、「稲刈り」ごっこに過ぎない。

 特に、子どもには、本物の米作りの全ての作業を「体験」させるべきであろう。